大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)1038号 判決 1997年5月27日

上告人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

弘中惇一郎

被上告人

株式会社産業経済新聞社

右代表者代表取締役

羽佐間重彰

被上告人

小林久三

右両名訴訟代理人弁護士

桒原康雄

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人弘中惇一郎の上告理由第三点について

一  本件は、被上告人会社の発行する新聞に掲載された被上告人小林の談話の紹介を内容に含む記事が上告人の名誉を毀損するものであるとして、上告人が被上告人らに対して損害賠償を請求するものであり、原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  被上告会社の発行する「夕刊フジ」紙の昭和六二年九月六日付け紙面に、第一審判決別紙のとおりの記事(以下「本件記事」という。)が掲載された。本件記事は、「甲野太郎 ヤケクソ証言出るゾ」等の見出しを付した七段抜きの記事である。

2  上告人は当時妻を殺害しようとしたとの殺人未遂被告事件について有罪の一審判決を受けており、また、後に同人を殺害したとの殺人被疑事件についても捜査が進行中であったところ、本件記事の大要は、アメリカ合衆国の捜査当局が右殺人被疑事件について上告人を起訴する方針を固めたことを報じた後、推理小説作家である被上告人小林が、「『あくまで推理ですよ』と断りながら、事件は保険金を目当てにしたグループによる犯行で、甲野は主犯クラスではないといい続けてきた」ことを紹介し、また、同被上告人が、その談話において、上告人が共犯者を明らかにしない理由について、「『甲野自身がAさん銃撃事件とは別に、主犯としてやった事件があるからだとにらんでいます。』『殴打事件(殺人未遂)の判決(東京地裁)は懲役六年。甲野にとっては、六年ですめば御の字だからですよ。六年どころではない事件、主犯としてやった事件があるはず。』」と述べたことを紹介した後、「『全部バラしてやる』と甲野が呼ばぬうちに口を封じたいと考えているヤツら、甲野の爆弾発言におびえる黒い連中の影がチラチラしている。」と結んでいる。

3  なお、上告人については、昭和五九年以来、前記各事件の嫌疑をめぐり、数多くの報道がされていた。

二  原審は、右事実関係の下において、次のように判示して、上告人の請求を棄却すべきものとした。

1  本件記事は、これを一読すれば、被上告人小林が、客観的な根拠によらず、推理小説作家としての自由な立場から推理したところを紹介したものにすぎないことが明らかであり、一般読者によって、上告人が右推理どおりの行為を行ったと受け取られる可能性は小さかった。

2  上告人は、本件記事が記載された当時、前記の殺人未遂被告事件及び殺人被疑事件についての嫌疑の存在を前提とした社会的評価を受けており、同人の社会的評価は既に相当程度低下していた。

3  本件記事の掲載された「夕刊フジ」紙は、通勤途上の会社員などを対象として、専ら読者の関心をひくように見出し等を工夫し、主に興味本位の内容の記事を掲載している新聞であるが、本件記事も、上告人についての殺人被疑事件の捜査報道に関連させて、推理小説作家のした推理を読者の興味をひくように幾分大仰に取り扱っているにすぎないものであり、一般読者にも、かねて右殺人被疑事件等の中心人物としてその言動が社会から注目されていた上告人に関する新たな興味本位の記事の一つとして一読されたにすぎない。

三  しかしながら、原審の右判断のうち3の点は、是認することができない。その理由は次のとおりである。

新聞記事による名誉毀損にあっては、他人の社会的評価を低下させる内容の記事を記載した新聞が発行され、当該記事の対象とされた者がその記事内容に従って評価を受ける危険性が生ずることによって、不法行為が成立するのであって、当該新聞の編集方針、その主な読者の構成及びこれらに基づく当該新聞の性質についての社会の一般的な評価は、右不法行為責任の成否を左右するものではないというべきである。けだし、ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、当該記事についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものであり(最高裁昭和二九年(オ)第六三四号同三一年七月二〇日第二小法廷判決・民集一〇巻八号一〇五九頁参照)、たとい、当該新聞が主に興味本位の内容の記事を掲載することを編集の方針とし、読者層もその編集方針に対応するものであったとしても、当該新聞が報道媒体としての性格を有している以上は、その読者も当該新聞に記載される記事がおしなべて根も葉もないものと認識しているものではなく、当該記事に幾分かの真実も含まれているものと考えるのが通常であろうから、その記載記事により記事の対象とされた者の社会的評価が低下させられる危険性が生ずることを否定することはできないからである。

四  そうすると、右とは異なり、本件記事が上告人の社会的評価を低下させる内容のものであることを認めながら、その掲載された新聞の編集方針等を考慮して、名誉毀損の成立を否定した原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、原審において更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すのが相当である。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信 裁判官山口繁)

上告代理人弘中惇一郎の上告理由

頭書事件につき、上告の理由を以下のとおり述べる。なお、原判決は、全面的に第一審の判決を援用しているので、以下上告理由については第一審判決文の記述を「原判決」として論を進める。

第一点 最高裁判例違反、法令の解釈適用の誤り

原判決は、本件記事中の上告人の名誉毀損に関する記事は、「客観的な根拠のない単なる推理あるいは推測にすぎない」もので、「真実保険金を目当てにしたグループの一員であるとか未だ発覚していない殺人事件の犯人である」と読者に受け取られるものでないから、それほど上告人の社会的評価を低下させるものではないとする。

しかしながら、人の名誉を毀損するような事実を公然と摘示すれば名誉毀損に該当するのであり、当該事実を「真実である」と主張するかどうかということは関係ない。たとえば、「人の噂であるから真偽は別として」という表現を用いた場合でも、名誉毀損に該当するのである(最高裁第一小法廷昭和四三年一月一八日決定 刑集二二―一―七)。この趣旨は、名誉毀損とは、一定の具体的事実の存在を他人に印象づけることが当該本人の人格的価値の社会による評価の低下を来すことを問題にしているからである(右事件の最高裁判所判例解説九p。法曹界)。従って、表現全体からしてそのような事実が存在することを暗示していれば名誉毀損に該当することは当然である。このことは、本件のように「推測によれば」という表現を用いた場合でもまったく同様である。そして、本件の記事は「その線はかなり濃くなってきている」「甲野の爆弾発現におびえる黒い連中の影がちらちらしている」等として文章を締めくくっているのであるから、摘示した事実の存在を否定しているものでないことも明かである。

以上のとおりであるから、本件は当然名誉毀損に該当するのに、原審は、右最高裁判例に違反し、民法第七〇九条および第七二三条の名誉毀損についての解釈適用を誤ったものであり、この誤りが原判決の結論に影響すべきものであることも明かであるから、結局破棄を免れない。

第二点 理由不備、条理違反

原判決は、本件記事が掲載された夕刊フジは、帰宅途上のサラリーマンを対象としておもに興味本意の内容の記事を掲載する夕刊誌であるから、名誉毀損にあたらないとする。しかし、そもそも夕刊フジが「おもに興味本意の内容の記事を掲載し‥一般読者も娯楽本意の記事として一読している」ということ自体、何等の証拠も根拠もない事実であり、かつ明白に事実に反する事柄である。すなわち、夕刊フジは著名な全国誌発刊の産経新聞が発行しているものであり、その社会面・政治面などについては他の新聞と比べてことさら異なる編集をしているものではなく、興味本意の娯楽記事を中心に掲載しているものではない。また、読者が掲載されている記事について単なる娯楽記事として一読しているということも事実に反し、かつ何等の証拠もないことである。

週刊誌などは、本件新聞に比べてはるかに興味本意の記事が多い編集になっているが、時に、そのようなメディアの方が、新聞に先駆けて真相をすっぱ抜くということも少なくない。従って、そのような記事に接した読者において、そのメディアが興味本意の記事が多いからということをもって、頭から、掲載事実を「いい加減な内容であり、全く真実と思わない」などというのはありえないことであり、一般常識に反することである。

以上のとおりであるから、原判決は、何の理由も示さず、かつ条理に反する内容の結論を下したものであり、これが判決の結論に影響すること明かであるから、この点においても破棄を免れない。

第三点 最高裁判例違反、法令の解釈適用の誤り

しかも、仮に、その記載誌が必ずしも正確に事実を記載するものではなく、興味本意の記事を中心とするものであったとしても、そのことから記載記事の名誉毀損性が失われるものでもない。たとえば、北方ジャーナルのようなきわめて特殊な雑誌であろうと、政治団体の機関誌であろうと、極端な場合井戸端会議であっても名誉毀損は成立するのである(昭和六一年最高裁大法廷 民集四〇―四―八七二 同判決についての最高裁判例解説 法曹会二九八pの諸判例)。

要するに、名誉毀損に該当するか否かは、人の社会的評価を低下させるような事実を不特定多数の人に認識できる状態にしたかどうか、で決められるものであり、その事実を確実な事実であると信じ込ませることは必要ないものである。

以上のとおり、原判決は、右最高裁判例に違反し、民法第七〇九条、第七二三条の名誉毀損についての解釈適用を誤ったものであり、この誤りが原判決の結論に影響すべきものであることも明かであるから、結局破棄を免れない。

第四点 最高裁判例違反、法令の解釈適用の誤り

上告人が保険金殺人の疑いで起訴されて審理中であることは事実である。しかし、上告人は事実を一貫して否認していることも事実である。このように場合に、被告人について一定程度社会的評価が低下したからと言って何を書いても許されるなどありえないことである。犯罪者であっても名誉が守られる利益を有することは確定判例である(大判大三―一一―二四 録二〇―二二三〇等)。特に本件記事は、起訴事実と直接関係なく、上告人が保険金を目当てにしたグループの一員であるとか、未だ発覚していない殺人事件の犯人であるということを内容とするものであって、上告人の起訴に関連する記事でもない。したがって、上告人が保険金殺人で起訴されているというだけのことで、本件記事が名誉毀損に当たらないとした原判決は、右大審院判例等の確定判例に違反し、民法第七〇九条、同第七二三条の名誉毀損についての解釈適用を誤ったものであり、この誤りが原判決の結論に影響すべきものであることも明かであるから、結局破棄を免れない。

なお、原判決は、上告人の社会的評価が相当低下していたこと、記事が興味本意の娯楽誌に掲載されたものであること、記事が推理・憶測を内容とするものであったことを総合して本件記事は名誉毀損に当たらないという構成をしている。しかしながら、右に述べたとおり、その各要因はいずれも名誉毀損の成立を妨げるような事情ではない。原審は、右の各要因はいずれも名誉毀損の成立を相当程度妨げるものという前提に立ち、従ってそれを総合加算して名誉毀損の成立を否定したものである。すなわち、原審の認定の誤りは結局、以上述べた名誉毀損についての解釈の基本的誤りに帰着するのであり、事実認定ないし事実評価の問題ではないことを付言する。

以上

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